1996
通貨、文化もわからないまま上海に留学
■Bai Ro Men Discoで初めてのレジデント *カラオケ付ディスコ
■Ricks Cafeでレジデント
■L.A Cafeでレジデント
■後に中国にクラブシーンの起爆剤となったD.D'S Clubでレジデント
備考:この頃のクラブといっても、SHINは10時から朝の6時まで毎晩のようにハウス、ディスコ、ラテン、サルサ等、全てのジャンルを流さなくちゃいけない環境だった。
1997
D.D'S CLUBで週6日間プレイの下積み時代を一年間過ごす。
■新居となる虹古路から虹梅路に引っ越し。その後、6年もここで過ごす事となる。
■香港返還
■香港返還前に始めての香港旅行
1998
第一次上海クラブシーン絶頂期
■Laurant Gernierを招致
■上海Time Disco, Park97, Buff Disco, D.Disco,JBLでプレイ
■自身のParty, JUGを開始 DJ Nakahara,Tomo Hirataを招致
■D.D's Club北京がオープン *後にマネージャーとなるKikoと出会う
■Technasia Amil Khanを招致
備考:ハードハウス、トランスがようやく中国でもプレイされはじめる年であった。
1999
北京クラブシーンが勃発
■自身初、香港のBar CityでAmil, DJ Boneと共演 *大箱でモニターなしでボロボロ。
■Tomo Hirata, Yo-Cを招致
■DJ Mayuriを招致
■D.D's clubがクローズ *オーナー陣の喧嘩別れでピリオド
■北京 Club Orbitでレジデント *オープン当日は1000人もの人で盛り上がる。KIKO氏プロデュース。
■上海Y.Y ClubでDerrick Mayとプレイ
■WIRE99にTECHNASIAの世話係りで参加*Chales Sieglingと出会う
■新たにDKDでレジデント開始
■杭州のS.Discoでプレイ *ホテルの部屋で大金を盗まれる。後に従業員とわかる。
■北九州のメガヘルツでTECHNASIAとプレイ
■DKDにTechnasia, Charles Siegling *Charlesの3時間ハードセットに大盛り上がりした。テクノに陽射しが見えた。
2000
上海、北京両都市でKIKOとPLUS -club concept-スタート 初の中国発テクノパーティーが開催
■広州 Harley Discoでプレイ *杭州のホテルで痛い目にあったのでドアを机で押さえて寝る。
■蘇州でプレイ
*帰郷で賑わう汽車の中でスリ集団にサイフを盗まれかけたがなんとかアイアンクローで取りかえす。また、用意されたホテルがサウナの仮眠室なので怒って4時間かけてタクシーで上海まで帰る。
■香港ROBOTでプレイ *自身香港で過去も含め最高のパーティー
■北京CLUB ORANGEでレジデント開始 *OPEN当日は800人が押し寄せる。
■6月23日 第一回目PLUS featuring 石野卓球 入場者数は上海400人 北京900人 * 北京、オーバーキャパで流血騒ぎが怒る。
■Technasia debut Album <future mix> Japan Tourに同行。大阪のRocketsでプレイ
■上海の小室哲哉プロデュースのCLUB ROJAMでKEN ISHIIとプレイ
■上海初のウェアハウスパーティー開催。オランダのDJ Caroline(Club Mazzo)とプレイ
■CLUB MAYAでMijk Van DijkとDJ *Mijkと出会う。
第2次上海クラブシーン絶頂期を迎えるやいなや、夏から世界のアピールの場となるAPECに向け公安の取り締まりが開始。上海のクラブシーンはこの年崩壊。殆どのクラブは12時に閉店。警察が毎週何十人も押し寄せ、クラブやディスコを崩壊へと導いた。殆どのDJは生活苦を押し入られ、多数の外国人DJは上海を去った。DKDに機関銃を持って突入してきた夜もあった。
■そんな中、9月8日に 第2回 PLUS featuring FRANK MULLER を強行に開催!
*12時が過ぎ、外から鎖で鍵を閉め音を消して警察が通り過ぎるのを待ち、また爆音でリスタートしたが15分後に通報され 数人の警察が押し寄せる。その15分のSHINのプレイがFRANK MULLERの目に止まり、後にMAYDAYに参加するきっかけとなった。
■10月20日 PLUS vol.3 feat Claude Young
* この日SHINのレコードバッグがタクシーに置き忘れる。(翌日タクシーラジオに大金を払い、上海のタクシー会社全部に流し見つかる。)また、警察の取締が一層に強まる中廃虚寸前のディスコで行った。客の半分は上海マフィアが集まりドア代を催促した為、暴れ狂う自体となった。また、北京は動員800人。大成功な一夜となった。
■11月17日 PLUS vol.4 feat Angela Flame
* 警察に高額な金額を買収し朝までようやく開けれるようになった。なんとかシーン復活の陽射しが見えた。
備考:警察が来たり来なかったりといった見えないプレッシャーが上海の夜を包みこんでいた。UKのGatecrasher, Creamが莫大な金額を請求して、Dave Seaman等のDJが頻繁に来るようになる。もちろん、どのパーティーも大赤字。先の見えない中国シーンに外から来る人達は容赦なく多額なフィーを請求した。この頃からパーティーは激減。ローカルのプロモーター達はビッグパーティーを呼び込み、シーンができると信じたが外の人間には関係なく自ら首を閉めてしまった。
HM
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